【写真:今まで他人のお金を追いかけるのが本業だったミスターB。今度は自分のお金を追いかけるハメに。気の毒な都銀OBの苦悩を描く】
世の中、カネさえあれば何でもできると思っていませんか?。あのホリエモンも、カネでニッポン放送株を買い占め自分の傘下に入れようとしましたが結果は失敗に終わりました。私が8年間勤務した会社も『カネ』で人を動かし、強引な買収工作も不発に終わり残ったのは莫大な借金のみ。タコ部屋のごとく劣悪な労働条件で従業員を働かせ、時代の大きな変化で優秀な人材はどんどん会社を去り、今は一部の人を除いて『カス』ばかりが残っています。経営状態が悪化し賞与や退職金の積立てもなし、なんとか残っている社員も脳みそ筋肉の体育会系が吠えるだけ。退職者が訪問してきても目すら合わせずろくに挨拶すらまともにできない。新しいことには『斜に構えて』しか見られず、営業とて『こんちはさよなら営業』だけで、御用聞きすらまともにできない。こうなったのも、全て代表者の責任だ。
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◆ミスターB
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学校を卒業して以来、
いろんな会社に勤めましたが、
素晴らしい!と思う社長はいませんでした。
というよりも,
『あほか・・・このおっさん』と思うことしきり。
あなたもそう思いませんか・・・?
一番滑稽だったのは、
銀行上がりのおっさんが代表を張ってる会社。
さらにその会社には親会社があって、
親会社から飛ばされてきたおっさんが代表をやってる。
とりあえず『ミスターB』と呼ぶことにする
ミスターBは某有名都銀のM銀行にいた。
M銀行というのは、
梅川事件で世間を騒がせた『あのM銀行』である。
話を元に戻そう
ミスターBは、
M銀行時代『優秀な法人営業だった』と聞く。
先見の眼はあるし交渉力も抜群。
買収工作から事業の再生まで、
とにかくなんでもこなしたらしい。(M銀行時代の後輩Kさん談)
宅建の資格も持っているから大したもんだ
ミスターBは50歳になる前に、
印刷機材商社の『ゴミテツクズ社(仮称)』から誘いを受け、
同社の関連子会社『ヤンキー写真製版株式会社(仮称)』(以下Y社)に回された。
当時Y社は大阪で中堅の製版会社として、
業界ではそこそこ名が通り事業も安定していた。(月商約1億円)
『これからは専業ではだめだ!』とミスターBが吠えた!!
マッキントッシュをはじめとするコンピューターが、
広告・印刷関連分野に普及し出し、
製造単価が下がりはじめ、
『これからは企画から受注するのだ』と、
事業の拡大に乗り出した。
中小企業と屏風は広げ過ぎると倒れるのに・・・
社名から『製版』という単語が消え、
オール横文字の何屋だかよくわからない名前に変わった。
私が入社したのもちょうどそのころ。(平成8年)
企画・制作会社を買収したところに入社した
ミスターBは、
飲み屋で知り合った企画・制作会社の代表に申し入れをし、
自分の任されているY社の子会社になって、
ゴミテツクズ社グループの傘下に入るようにすすめた。
経営が苦しかった企画会社は渋々了承した
これでミスターBの『製造一環システム』が構築でき、
広告の企画・制作から、
Y社の製造現場の仕事までがフルラインで確保できた、かのように見えた。
ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかった
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