がんばる人を見ていると『痛々しい』。がんばるとは『頑張る』と書き『頑なに我を張る』という意味合いが強い。もともとは『我に張る』が転じた言葉で『頑張る』は当て字なのだが、頑なに我を張るから『頑張る』という字が充てられたのだろう。私の周囲の『頑張る人』は、文字通り『頑固者』が多い。まぁ、目標に向かって頑張る姿は美しいとは思うが、頑張りが過ぎると『燃え尽き症候群』になって『ふぬけ』になってしまう。
【写真:あれこれ頑張るより、ひとつのことを具体的に『やる』のが大事】
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◆あれこれやっても、結局は『中途半端』に終わる。
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ウルフルズのカバー曲『明日があるさ』のワンフレーズ。
『どうして俺は頑張っているのだろう・・・』。
『家族のため・・・』『自分に言い聞かす・・・』。
じっくり聞いたら、自分のやりたいことでは頑張っていない。
あほくさ・・・。
1、仕事で頑張る
2、残業で頑張る
3、徹夜で頑張る
4、社内営業で頑張る
5、飲み会で頑張る
6、自己啓発で頑張る
7、勉強会で頑張る
8、地域活動で頑張る
9、ボランティアで頑張る
10、レジャーでも頑張る
11、趣味の〇〇で頑張る
12、家事・育児で頑張る
頑張り過ぎやしませんか・・・?
例えば、自分の能力を車のタイヤの空気に置き換えてみよう。
普通の乗用車のタイヤの『適性空気圧』は2.5KPa(kg/cm2)くらいだ。
それ以上の空気を入れて『入れすぎたら破裂』する。
2.5KPaのところに12KPaも入れたらどうなるか。
先日も書いたが『がんばる教』に冒されると、
知らないうちに『がんばる病』に罹る。
鬱になったりする原因の一部には『頑張り過ぎ』もある。
頑張っても、結果が出ないことも多々あるのが世の習いだ。
だったら、緩急つけて『適当』にやるのがいい。
付け爪細工工房『KETA』の女主人の社長ブログに、
なんかっちゃあ『うちの主人、うちの主人』が出てきて、
いかにも『うちの亭主は頑張って、行動で示す人だ』が誇張されている。
そのうち、バースト(破裂)するぞ。
そこそこやって、そこそこの幸福感を得る。
頑張り過ぎずに、仕事に『いちいち』意味をつけずに、
寡黙にやって続けていたら『十分』である。
いくら頑張らなくていいといっても、
私は『働かなくていい』とは言っていない。
ぐうたらしながら、具体的にやることをやればいいのだ。
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◆なぜ、頑張るのか・・・の考察
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頑張る人の原点は『ない』から始まっている。
極論だが・・・
『美人じゃない』
『かわいくない』
『仕事で結果がでない』
『おカネがない』
『幸せじゃない』
全てが『ない』から始まっている。
別に、赤紙が届いて戦地に取られるような時代じゃないんだから、
そんなもの『適当』にやればいいと思うのだが。
意外と、高学歴の人は『頑張り』に慣れて『頑張り過ぎる』ように思う。
その根底は『認められたい』が『頑張りの原動力』になっている。
認められていないのは『頑張りが足りないから頑張る』という、
頑張るの負のスパイラルに陥っている。
こんなもの、いくら頑張ってもキリがないばかりか、
付け足し付け足しの『上塗り』で『物事が複雑化するばかり』だ。
その上、時間の浪費や交際費も『やたらかかる』。
何のために働いているのか、わけがわからなくなるのだ。
私らからすれば『あと何年生きられるかわからない』のだから、
今さら『何に対して、誰が、私を認めて、どうなる、というのだ?』。
まぁ、人生のうちに『修羅場』をいくつか経験したら、
頑張るのも『要領よく適当に頑張っているふり』もできるようになる。
頑張っているかどうかは、他人さまが勝手に判断するだけの話。
どうでもいい頑張りは『せいぜい30歳代』までで、
40歳代になったら『自分の適性』もわかってくるから、
無意味に頑張るのも控えめになってくるのだが、
どうも、最近の40歳代は、頑張りを『減速』どころか『加速』している。
もっと、自分に自信を持ったら・・・。
自分に自信を持てれば『自分をコントロールできる』のだ。
『私は、認められている』
『私は、かわいい』
『私は、男前だ』
『私は、そこそこ儲かっている』
『私は、そこそこ幸せだ』
この考え方は『ない』ではなく『ある』が前提である。
もう、すでに『持っている』のだから、
いちいち、面倒くさいモノやコトを『足し算』する必要がない。
すでに『ある』が前提だから『引き算』で行動できるのだ。
自分に『ある』のだから、不要な人付き合いはしなくて済む。
・余分なモノは買う必要がない
・余分な自己啓発の勉強の必要がない
・余分なボランティアに参加する必要がない
・余分な調整役を引き受ける必要がない
・余分な行動で示す必要がない
引き算をしたら『余裕』が生まれる。
・足してきたものを、引いていけばいい
・足してきたものを、捨てればいい
・足してできるようになったものを、やめればいい
捨てる勇気を持てない人が多すぎるのである。
どんどん引いていったら『役立たずの自分』が残る。
どうあったって、大して世の中に役に立っていないのだから、
一度は『役立たずの自分』に戻ってみたらいいのだ。
そうすれば『自身』が残り『自信』に目覚める。
ジャンク屋の若大将『葛之屋末兵衛』は、
自身の『ひきこもり体験』を美化して、
ニートやひきこもりを農業ごっこを通じて社会復帰させようと躍起だ。
だが、そういう人は『すでに引き算』を済ませているから、
葛之屋末兵衛が思うような展開にはならないのだ。
・こんな自分でも許されるんだ
・ダメな自分でも、大丈夫なんだ
彼らは、そう思っているのだ。
認められたいとか、そういうのは『がむしゃら時代』の産物。
昭和の時代は『みんなでがんばったら明るい未来』が見えていた。
もうすでに『その未来』になって久しい。
あれこれ手を出しても、本当に疲れるだけである。
頑張る・・・一見美しいが『何に欠乏しているのか』を、
じっくり考えてみたら『もう、どうでもいいや』に行きつく。
今こそ、なまくら、ものぐさ、役立たず、が丁度ではないだろうか。
現代人は、もっと『ぐうたら』してもいいと思うのだが。
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▼ちきりんの日記▼
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
★なかなか、鋭い視点で、勉強になるよ★
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あえて誤解を招くような過激な表現をしている場合もあります。
『こりゃ違うんじゃないか』と疑問に思うところから、
発想や気づきを深めるきっかけにしていただければ幸いです。
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